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06月02日のココロ日記(BlogPet)

ぱんつはいてるかどうかって、大きな問題ですか?

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪

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コメント

むずかしいことはわからん

投稿: 梅夫 | 2009年6月 2日 (火) 21時50分

>>kanchi

何故彼らはパンツを取り合うのか。それは行き過ぎた現代社会における「脱文明化」のメッセージなのである。
そもそも人間と動物が違うところは文明である。言語、利器、衣服。何を取っても他の動物とは比べ物にならない程の文明を手に入れたのだ。
だがしかし。我々は人間らしさを重視する余り、動物らしさ…つまり、本来のあるべき姿を忘れているのではないだろうか。人は見た目から、という。脱文明化のためには衣服を捨てることが肝心なのである。
その点において、梅夫は脱文明化の先駆者なのである。相手のパンツを脱がせ、積極的に相手を脱文明化へと導いているのだ。彼はソクラテスの産婆術を使い、相手を混沌とした現世から救おうとしている。
そんな彼に私たちが言えることは1つしかない。「勉強しろ」

投稿: だめいぬ。 | 2009年6月 2日 (火) 20時29分

こいつは何を言っているんだ。
はいているかいないかが問題ではない。何をはいているかが問題となるわけだ。
そもそも、なぜこのように『はいているか、はいていないか』という選択肢が現れるまでになったのか。
それは他ならない、アニメの影響や、また『ゆっくり』や『お断り(゚ω゚)』などセンスのある言葉を持て囃す風潮による影響だ。
しかし、一般的に考えると『はいていない』というのは世間的、倫理的、衛生的に問題があるのではないだろうか。『パンツじゃないから恥ずかしくない』という理屈が生まれるということは、その時点で社会的倫理からの逸脱であり、それは社会を捨てたということになる。
しかしここで考えてみよう、『社会を捨てた』ということは、すなわち社会的行動もやめた、簡単に言うと人前に出なくなるということだ。しかしそれでは『恥ずかしくない』といっているいみが、『どうせ人前に出る機会がないから見られるわけもないので恥ずかしくない』という意味になる。これは人にある事象の可能性を問いながらもそれを行おうとしていないというある種のパラドックスであるのだ。
結局のところ、はいているかはいていないかが問題ではなく、人前に出るか出ないかというのが大きな分岐点となるのではないだろうか。
その点、最近増加傾向にあるニートが問題にもなる。確かに、日本が物質的に豊かになってきたというのも原因としてあげられるかもしれないが、一方で雇用面の不安定化というのも無視できない。世界的不景気の中、仕事に就くことの出来ない人が増えているのは、一つの原因として経済対策の遅れがあるだろう。まるでオウムのように与党に対し全てを批判する野党自身が遅れを生んだと考えられなくもない。
よって野党を解体して、早急に新しい政党をつくることが重要となってくる。そこで私がオススメしたい党名は
『梅夫党』だ。なぜこの名前がいいのか。それは梅夫自身のもつパンツレスリングとしての素質を評価しているからだ。前述の通り、経済的問題の最後にいきつく問題が『はいているかはいていないか』ということであるが、梅夫の場合、どちらにしてもレスリングをすることにより、二律背反と思われるこの問題を恒久的に解決できる可能性を秘めているからだ。
今後の梅夫の活躍と、更なるネタへの貢献を期待するものである。

投稿: kanchi | 2009年6月 2日 (火) 19時07分

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